「Siipi」代表 村瀬昭子様
マリーゴールドやローズマリー、青、赤、ゴールド…
色とりどりで様々な模様の陶器に目を奪われるホームページは、おしゃれでかわいい波佐見焼の器たち。
事業を立ち上げたきっかけは「家族を守るため」
強く生きる彼女が持つ信念はどこから来るのか-

ミッションは、「家族を守る信念が、笑顔と行動へ繋がっていく」
Q. 経営をしている上で大事にしていることは何ですか?
⸻ 期待に応える事です。
当社は、波佐見焼の陶器類の販売と、商品のPRを主に行っています。
私は、長崎県東彼杵郡波佐見町の出身で、ここは古くからのやきものの町です。

実家は波佐見焼の窯元で、父が母の誕生日に開業して約30年程経ちました。
祖父は元々ろくろ師だったらしく、『いずれ自分の窯を持ちたい』と言っていた所から父がその夢を叶えようと、窯元を構えたのだと聞いています。現在は、私の兄と弟が引き継ぎ、母と義姉も一緒に働いています。
私の会社「Siipi」では、実家の窯元から仕入れたものをオンラインで販売しており、
加えてinstagramなどのSNSの更新やWEB広告など、外部へのPRの90%以上は私が任されています。
窯元のお客様は大きく分けて、私が管理しているオンラインストアから直接注文してくださるお客様と、窯元へ直接買い付けに来られる商社や小売店のお客様の2種類に分けられます。いずれのお客様も、入口はSNSやGoogle検索などになるため、いかに目に留まるかは私の手腕にかかっています。
商社様とのやり取りは主に兄がやっていて、私はオンラインストアを担当しています。
オンラインストアのお客様は、商品が届くのを楽しみに、期待して待っておられます。
届いた商品が丁寧に梱包されている、お手紙が添えてある、それだけで商品だけでなく梱包している私たちの顔を想像していただけて、「また買おう」という気持ちになってもらえたらなと思っています。
私の仕事は、力を掛ければ売れるし、力を抜くと売れなくなります。
「家業の一端を担っているんだ。 」という覚悟を持って、期待値を高く上回る程のもので応えていきたいです。
家族だからこそ、そう思っています。
自分の信念として、翔芳窯を押し上げたい気持ちがあります。

Q. 起業のきっかけを教えてください。
⸻ 「家族の役に立ちたくて」
父が始めて 30 年程経った窯元ですが、兄弟も手伝い、私も事務として働くつもりでした。
そのため、商業高校に通って簿記・会計の勉強をしました。
学生の時にしていたソフトボールで、大手の会社の実業団からスカウトされて、愛知県で数年プレイしました。
引退後は地元に戻りましたが、都会を見てきた私にとっては、田舎が廃れているように見えてしまいました。
ソフトボールをまだやりたい、と思う自分もあり、かつてのチームメイトを誘ってソフトボールのチームを作ろうと、波佐見から100kmほど離れた福岡へ移住しました。結局、ソフトボールのメンバーは色々な事情でちりぢりになっていまい、目標だったチーム作りはできなくなってしまいましたが、親に背を向けて実家を出てきた私は、おめおめと地元に帰ることはしたくなく、福岡で力試しをさせてほしくて、両親に実家には帰らない事を伝えたのです。
ただ、何か実家の役には立ちたいと漠然と思っていました。
しかし、具体的に何かをするわけではなく、何ができるわけでもなく、その気持ちは頭の隅に置いて蓋をしていました。
その後、福岡の印刷会社で営業として10年働きました。
退職後、IT企業の事務を勤めていましたが、動きの無い仕事に魅力を見出せず悶々としていたところ、前職の印刷会社でお世話になっていたお客様からお声掛け頂き、転職しました。そこでは販促をメインにお客様の利益を模索する営業職を務めました。
マーケティングやターゲティング、販促方法、WEB関連、オンラインストア構築や販売・管理する方法など、今の仕事全般をその会社で学ばせて頂きました。
そんな中、新型コロナウイルス感染症の流行により、実家の窯元の売上が激減しました。
工場の稼働ができず、「売れない」「作れない」と嘆く家族に追い討ちをかけるように実家にとって一大イベントである『波佐見・有田陶器市』が中止になりました。大きく肩を落とす家族を見て、自分にできることは無いかなと考える中、他の窯元さんがオンライン陶器市の準備をされているというのを聞き、役に立てるなら今だと、そのためのサイトを私に作らせてほしいと兄にお願いしました。
時間がない中で作り上げた手作りのサイトでしたが、初のオンライン陶器市は大盛況に終わりました。

両親や兄弟がとても喜んでくれる姿を見て、これまで何の役にも立てていなかった自分に対してのスッキリしない感情を、ここでようやく晴らすことができました。
その時に、これを職業にしようと決めました。
起業を決意してからは、器を売るための撮影や料理の技術を身につけるために土日だけ学校にも通いました。
学校ではフードコーディネートとテーブルコーディネート、フードスタイリングを学び、フードスタイリスト1級の資格を取りました。

大好きだった父は、68 歳でコロナに罹り亡くなりました。
お酒を飲むことが大好きで、コロナ禍でも繁華街に飲み歩くことをやめなかった父でした。
仕事面でも、生活面でも、自分がこうと思ったことはどんなことをしてでも貫き通す。
いい意味でも悪い意味でも、絶対に自分の考えを曲げない。
だから、父らしい最期だったと思います。
今思うと、強情ではありますが人情味のある父でしたから、毎日のように通っていたお店の来客数が減り、困っている店主を助けようと飲み歩いていたのかもしれません。亡くなる前には実家に帰って、父と何十年かぶりに添い寝出来たことが本当に良かったと
思っています。
実家の経営には何か役に立ちたい、と思いながらも、私自身にも家庭があります。
学生時代は会社に入って一緒にするのが当たり前だと思っていましたが、
違った立場で取引先の関係として、支えていければ良いと今は思っています。
Q.何故、そこまで家族のために頑張れるのですか?
⸻ 父親を尊敬しています。
お酒が大好きで、糖尿病でも飲んで、頑固者だけど強さがあり信念を持っていました。敵も作るけど、全く気にしない人で、人を絶対に悪く言わない。その強さが好きでした。
高校生の時、たまたま父を悪く言っている人の話を聞いてしまった時は、「いつもお世話になっています。娘です。私は、父が大好きなので!」と声を掛けにいきました。今思うと、大胆なことをしたな、と(笑)
若い時は衝突もしましたが、大きな愛で見守ってくれているのはいつでも感じていました。
そして、母の存在も大きいです。
「女のくせに」と言う亭主関白の父の理不尽に耐え抜いた人で、それでも父をずっと支えていた人です。私が家を出るまでは、愚痴を言っている所も、ケンカしている所も見たことないです。母はぐっと耐えていました。
実家での経営が苦しかった時、それを乗り越えたのも「父の腕だ」という母を見てきて、私が両親を大好きでいれるのは母のお陰だと思います。
未だに私の誕生日に 1 万円渡してきます。母の愛は偉大です。私も子供の自己肯定感を上げられる母になりたいと思っています。子ども達には何もできてない、とつい思ってしまいますが…
母の在り方が、自分の理想です。

Q.経営をしていて苦しかった時はどんな時ですか?
⸻ 昨年でしょうか。
1 期目は探り探りで進めて行って、2 期目・3期目は順調に上がっていきました。4期目になり、娘の習い事の保護者会の会長をやる事になり、家庭の方で時間が取られるようになりました。その上、大阪に住んでいた身寄りのないおばが、いきなり要介護状態になってしまい、入院や介護施設への手続きや、亡くなった後のこともすることになり、プライベートでの問題が色々と重なった時期でした。
その年は極端に SNS に投稿する回数が減ってしまいましたが、正直、当時は仕事なんてやれる状態ではなかったため、ガツンと仕事で落としてしまいました。
その年は実家の窯元も売上が落ちてしまったようで、本当に申し訳なかったです。ただ、私は一人しかいないし、家庭の中心でもあります。仕事だけを頑張れば良いわけでは無いので、そのバランスにいつも悩み苦しい状況はあります。
家庭を壊すわけにはいかないので、割り切ることも大切だと思いました。
Q.どうやって乗り越えられましたか?
⸻ 全て手放れしました。
保護者会長の任期を終え、叔母のことも全て片付きました。
プライベートが落ち着けば、仕事が始まった!と腹を括って、絶対、取り返す!と思っています。
当たり前な事ですが、自分が行動しない事に対しては、成果は出ない事を気付かせて貰った時期でもありました。一旦初心に戻ろう、と。頻繁に PR してれば上がるけど、しなければ下がります。それは私次第なので、言い訳したくない、と思っています。

SNSを任され、フードスタイリングの資格を取って最初のうちはオシャレに見せることにこだわり、お料理の素材にこだわったり、背景をアレコレ飾っていましたが、色々考えて時間をかけた割には期待したほど伸び売れないこともあり、いつでも魅せ方を模索しています。
今は器が映えるシンプルな料理とシンプルな背景だったり、そもそもお料理を乗せていなかったり、全体の色味を揃えたり、逆にカラフルにしてみたり、器によってパターンの相性が違うので、色んなパターンを試しながらお客様の反応を見ています。
イベントの来客数や売上だったり、SNSの閲覧数だったり、「いいね」の数、オンラインストアの売上など、自分が作った作品がすぐに数字に現れるので楽しみながらやっています。最近では波佐見・有田陶器市の売上が期待以上だっと聞いて、少しはお役に立てているのかなと安堵しています。

Q.起業への躊躇の気持ちは無かったですか?
⸻ ゼロです。
一切無いです。あ、やろう!と思いました。誰にも相談せず、主人には「やるね」と一言言いました。家族が苦しんでいるなら、助けないと、と思っていました。
Q.経営とは何ですか?
⸻「生きる」に直結するものです。
笑顔・生命・精神・健康・元気、私にとっては全てです。
私には人生を変えてくれた人が 2 人いて、それが父親と、前職で御世話になった女性の経営者の方です。
その方からは、「憧れる人がいたら、近付け」と言われてきました。
「生き方を真似しろ」と。
興味のある人には近付いて、どんな生活をしてるのか、何を考えているのか、聞くようにしていました。生きていれば、憧れる人に対して近づく人を妬んだり、足を引っ張ったりする人も居る事を知りましたが、気にしないようにしています。
夜中の遅くまで懸命に働き、子育てする両親の必死な姿を近くで見て来た私にとって
経営とは、「生きる」に直結するものなのです。
Q. 関心がある事は何ですか?
週3でスポーツジムに行っています。
子どもの習い事を待っている時間は仕事をしていたのですが、結局進まないことも多かったので、その時間を自分のために使おうとやり始めました。今は日々変わる体の変化を楽しんでいます(笑)
Q. 今から起業をする女性の方へメッセージを頂けますか?
⸻ 「迷うな。」です。
「相談するな。思った通りにどうぞ。」でしょうか。
好きにした方が良いんじゃないかなと思います。
人生1度だから。
近くにいる人が、あなたにとっての良き相談相手とは限りません。
浅い関係の人には相談せず、まずは自分の思ったようにやってみてはいかがでしょうか。
トライアルアンドエラーで一緒に頑張りましょう!

【インタビューを経て】
村瀬さんこと、あっことの出会いは 6 年前。福岡で初めて講師をした営業研修の時でした。
受講生として来て下さった彼女は、 20 名の受講生の中で唯一の女性。
芯の強さややさしさ、まっすぐ前を見て元気に発言する彼女は、 今も全く変わりませんでした。
一経営者として、更に器が大きくなったあっこ。これからも応援しております!
―会社情報―
Siipi 福岡県春日市
波佐見焼 翔芳窯 公式オンラインショップ
電話:070-8523-2012(オンラインストア)
電話:0956-85-4724(ギャラリー・本社)
〒859-3701
長崎県東彼杵郡波佐見町折敷瀬郷 761-8
instagram:@shohogama
