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-起業を考える女性へのメッセージ-女性起業家インタビュー-No.9

明るく、いつも元気。SNSの配信や実物のアキさんをご存知の方ならそんな印象を持たれている人が多いと思います。

ラジオパーソナリティやテレビのインタビュアー

「人に聞き、人に伝える」生業で人生を過ごしてきたアキさん。

その笑顔の裏で、家族と向き合わざるを得ないご苦労もありました-

ミッションは、

「個々の「うれしい!」が地域内で循環しあって、

次の挑戦と笑顔を生む!その喜びの起点となる。」

⸻ 現在は、SNS番組プロデュース&デレクティングを行っています。

撮影から発信まで、私を含めた2名を中心に進めています。 

番組作りには複数の工程と役割があり、
 

・企画立案

・撮影場所の許可取り


・必要な道具の準備
 

・ヒアリング
 

・撮影
 

・編集
 

・SNSでの発信 

と、さまざまな作業があります。 

番組の内容に応じて、それぞれの得意分野や視点を活かすために、協力メンバーにも参加してもらっています。
私自身は主にヒアリングを担当していますが、編集も含めて、1つの案件にはだいたい4〜5人が関わっています。 

⸻ 大事にしているのは、「その人の強みを、目の前の人にわかってもらうこと」です。

そして、それを“自分自身で気付いてもらうこと”が、何よりも大切だと思っています。
経歴やこれまで続けてきたこと、過去の経験を丁寧に洗い出していく中で、未来のビジョンを描いてもらいます。 

商品やサービスは、“誰かの困りごと”を解決するために生まれたはずです。
そこにある「想い」が、ビジネスの一番の核になります。 

印象的だったのは、ある製造業の企業での取材です。社員が約100名いる会社で、最初は経営者の方が少し消極的でした。
ですが、工場で社員の方々に「何をしてる?」「何が楽しい?」とインタビューを重ねていくと、皆さんが仕事のやりがいを語ってくださるようになりました。 

ある社員の方が言った「自社の商品を選んでもらえると、我が子を選んでもらったような気持ちになる」という言葉に、社長はとても驚かれていました。
それまで知らなかった社員の想いを知り、採用活動以上に、社内の関係性が大きく変わったそうです。 

また、インタビューされた社員の方々も、自分に自信を持ち始めました。
「こうしてほしい」という提案や意見が出てくるようになったそうです。
自分にとっては当たり前だった業務も、人に話して初めて“価値”として自覚できます。 

私はもともと、現場に飛び込む“突撃インタビュー”を何十年もやってきました。
相手の懐に入って話を聞くのが、ずっと自分の仕事でした。 

特に生放送の現場では、一瞬で相手との距離を縮めなければいけません。
どの角度からマイクを向けるか、60cm以内に入ると人は警戒してしまうこと、斜め60度から違和感なく話しかけること。
こうした技術も、長年の現場経験で培ってきました。 

今はその経験すべてが、企業の“本当の強み”を引き出す仕事に繋がっていると感じています。 

⸻ “偶然のマイク一本”が、私の人生を変え、起業につながる始まりでした。

1988年、瀬戸大橋の開通を記念して開催された瀬戸大橋博覧会。
香川県で110名のコンパニオン募集があり、「可愛い制服が着たい!」という軽い気持ちで会社を辞め、飛び込みました(笑)。 

でもその仕事は10カ月間限定。
その後、テレビやイベントのADとして働くなかで、ある日、司会者が来られないというトラブルが発生。
「声が大きいから」という理由で、急遽私に司会を任されたんです。 

渡されたのは宝石展示会の難しい原稿。
読めない漢字やカタカナに戸惑い、私はマイクを通して「わかりませーん!教えてくださーい!」と叫びました。 

それをたまたま見ていた神戸のラジオプロデューサーが、「その度胸がすごい!」と、なんとその場でスカウト。
こうして私はラジオ番組『鉄人28歳』のメインパーソナリティとしてデビューしました。 

さらにその後、話している姿を見たNHK高松のプロデューサーに声をかけていただき、テレビの世界にも進出。
ラジオやテレビのレポーターとして30年活動を続けました。 

結婚を機にフリーランスになり、安定した仕事もいただきながらも、「次のステージに進みたい」と思い続け、2020年にラジオを引退。
その前にはコッペパンのお店を開いたり、さまざまな経験を重ねました。 

そして今、すべての経験を活かし、人の想いや言葉を引き出し、形にする仕事へとシフトしています。
あの日の“マイクを握った瞬間”が、私の原点です。 

⸻起業する時には、不思議と迷いはありませんでした。

ですが…実際に始めてみると、しばらくの間は「やっぱりフリーランスのままでもよかったかな」と後悔したことも正直あります(笑)。 

経営者としては、まだ経験1年ほど。
ですが、立場が変わると“視座”が変わり、見える景色が一気に変わります。
経営者になることで、関わるお客様も、求められる視点も変わっていく。 

とんとん拍子で進んできたからこそ、その変化が怖く感じた瞬間もありました。
でもその分、今までとは違う“新しい景色”が見えてきたとも感じています。 

⸻ 一番苦しかったのは、「景色が止まった」と感じた瞬間です。

フリーランスとして活動を始めた頃、私はまだ小さな子ども2人を育てながら、朝の情報番組を担当していました。
朝は早く、夜は遅い生活。家族との時間は限られ、心の中にはいつも「本当にこれでいいのだろうか?」という葛藤と、申し訳なさがありました。 

そんなある日、子どもが私に手紙をくれたんです。
それをきっかけに、私たちは手紙の交換を始めました。まるで交換日記のように。
そばにいられない時間があっても、言葉で心をつなぐことで、お互いにちゃんと“向き合う”ことができました。 

でも、新たな環境に踏み出す時、人は一度、自分の中の火がふっと消えてしまうような感覚に陥るものです。
それでも進むしかないとわかっていても、心が動かず、前に進めない。
そんな“景色が止まった瞬間”が、私にとって最も苦しかった時期でした。 

⸻ 私の実家は印刷会社を経営していました。

社長だった父は、いつも工場の中を駆け回っていて、社長室に座っている姿を見たことがありません。


「会社はひとつの大きな家族。全員が動きやすくなるようにするのが自分の役目だ」と、いつも話していたのを覚えています。 

そんな父が亡くなったあと、弟が会社を継ぎましたが、3年後に倒産。
50人いたスタッフは23人に減り、会社の雰囲気もどんどん苦しくなっていきました。
経営に家族が関わっていたからこそ、責任を誰かに押し付けたくなる空気もあり、毎日、誰かが悲しい顔をしている――そんな状態が続いていました。 

特につらかったのは、母の変化でした。
父と一緒に立ち上げた会社を手放すことができず、次第に心を病み、「死にたい」と口にするようになっていったのです。
会社は、母にとってまさに“我が子”のような存在だったのだと思います。 

それでも最終的に、母・弟・私の3人で何度も話し合い、会社を閉じるという決断をしました。 

そして、母が再び前を向けることができたのは、少しずつ元気になったからではありません。
本当の自分のやりたいことを見つけたからです。 

私はその姿を見て、強く感じました。
人がやりたいに出会うことの大切さを、母が身をもって教えてくれたのだと。 

⸻ 私は、これまで地方メディアの世界に育ててもらいました。


だからこそ、今度は自分の強みや経験を活かして、メディアを通して恩返しをしたいと思っています。 

そしてもう一つ―
誰もが「自分自身をプロデュースできるようになる」お手伝いをしたいです。 

自分のことをうまく言葉にできず、悩んでいる人は本当に多いと感じています。
でも、自分を伝えられるようになれば、
“自分の得意”を活かして、“誰かの困った”に寄り添うことができる。 

私は、そんな“自分発信の力”を持つ人を、一人でも多く増やしたいと思っています。 

⸻ やりたいと思った今が、その時です。

まずは「自分を信じること」。これに尽きます。 

「信じる者」と書いて「儲ける」と読みますよね。
自分を信じることが、未来をつくる第一歩です。 

「私にできるかな…」と不安になる時こそ、信じてください。
自分を信じられない時は、一歩が出ません。
でも、一歩踏み出せば、必ず何とかなる。 

そしてその先には、同じように一歩を踏み出した仲間が、きっと現れます。
一緒に進む仲間がいるからこそ、頑張れる日があります。 

起業は“誰かになること”ではなく、“自分に戻ること”。 

【インタビューを経て】

一緒に居るだけで人を元気にする圧倒的な存在感のアキさん。多くの人から引き出すお仕事をされてこられたアキさんの引き出しの中は、沢山のご苦労を重ねた人間としての愛が詰まっていました。半径5メートル以内の人を元気にする!とお話されていたのも印象的で、まさに体現実行の方。

いつも元気をありがとうございます!明るく元気なアキさんをこれからも応援しています!

―会社情報―

「株式会社TEAM MYGO」〜迷子からMY GOへ〜

住所:香川県高松市上林町510−39エニシア高松 1F I

電話番号:090-8977-9439

定休日:不定休

instagram:@aki.yamashita_teammygo

https://www.facebook.com/yamashita.aki.1
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